1945年6月23日に沖縄戦が終結。敗戦により、沖縄では米軍統治の時代が続きました。先人たちの努力の末、1972年5月15日に日本へ復帰。あれから50年。
新しいまち南城市にも、旧町村での戦後・復帰の歴史があります。「なんじょうデジタルアーカイブ」に保存されている写真の数々を巡ると、地域の歴史や、生まれる前の歴史に出会うことができます。
変化が激しく、目の前のことに気を取られがちな現代ですが、復帰50周年を機に少しだけ、振り返ってみませんか。今の私たちにつながるこのまちの歴史を。人々が、どう生きてきたのかを。
デジタル化された南城市の歴史・文化に関する写真や動画などを、パソコン・スマートフォンで見ることができます。
南城市の戦後史
戦後から2000年代までの南城市の歴史を辿ってみましょう。なんじょうデジタルアーカイブのホームページにはより大きな画像が掲載されています。あなたの知らないできごと、あるいはあなたの知っている人に出会えるかもしれません。
※参考文献「南城市史総合版(通史)」等
1945〜1949
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45年に初等学校が各地で開校。写真は比嘉福栄氏宅に開校した百名初等学校の前身。
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濵松哲雄医師が民家で治療を始め、現在の百名団地付近に「知念地方中央病院」として移転(48年)。
1945~1949年のできごと
- 知念半島に収容所を開設、知念市を設置(45年)。避難民の帰村で自然解消(46年)。
- 米国陸軍軍政府が親慶原に移転(46年)。沖縄民政府は新里に移転し、49年に那覇へ移転。
- 知念高等学校が志喜屋に開校(45年)、親慶原に移転(46年)。
- 大里村から6字が分離して与那原町に(49年)。
1950年代
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山崩れで被災した桃原の人びとが、集落の再建に見切りをつけ、分散前に撮った集合写真。
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馬天地区は鯨解体、スクラップ収集、造船などで栄え、劇場や水産試験場、製糖工場なども立地。
1950年代のできごと
- 知念高等学校が与那原町に移転(52年)。
- 第4代奥武橋完成(53年)。
- 米空軍機が親慶原に墜落(55年)。
- シャーロット台風で山崩れが発生。新里で甚大な被害(59年)。
1960年代
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奥武山を出発した東京オリンピックの聖火リレー隊は9月8日、玉城村・佐敷村も通過(64年)。
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当時、展望台がある大里城址公園は遠足の名所だったようだ。真和志中学校の卒業アルバムより。
1960年代のできごと
- 初の行政主席公選(68年)。
- 佐敷新開の造成開始(69年)。
- 日米共同声明で沖縄の「72年返還」が決まる(69年)。
1970年代
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35年ぶりに大城のシタク綱が復活。多くの見物客がひしめき合っている(88年)。
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開発が進められていた新開に新開球場がオープン(86年)。沖縄メディカル病院も同時期に開院。
1980年代のできごと
- 町制施行により佐敷町が誕生(80年)。
- 板馬クルマエビ養殖場完成(83年)。
- 垣花樋川が全国名水百選に選定(85年)。
- 海邦国体開催。軟式野球(佐敷)、銃剣道(知念)、バスケットボール(玉城)、ライフル射撃(大里)が行われた(87年)。
1990年代
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南風原の石彫魔除獅子の前で。環境美化などに取り組む生活改善グループの皆さん(94年)。
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94年にシュガーホールが開館。写真は佐敷中学校のサマーコンサートの様子(95年)。
1990年代のできごと
- 沖縄厚生年金休暇センターが新里に完成(91年)。
- 内原公園が開園(91年)。
- グスクロード開通(95年)。中間地点に公園開園(98年)。
- 久高島定期航路が馬天港から安座真港に変更(99年)。
- うふざとヌムーチーさいを大里城址公園で初開催(99年)。
2000年代
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集合写真も多数掲載されている。写真は知念村まつりで忠臣護佐丸を演じた際の集合写真(01年)。
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百名区公民館附近のバス回転場。デイゴの木がたくさんあったが、公民館改築の際に伐採された。
2000年代のできごと
- あざまサンサンビーチがオープン(00年)。
- 斎場御嶽が世界遺産に登録(00年)。
- 大里ニュータウン入居開始(01年)。
- 尚巴志ハーフマラソン in SASHIKIを初開催(02年)。
- ニライ橋・カナイ橋開通(02年)。
なんじょうデジタルアーカイブの意義
大切なモノを捨てて、後悔したことはありませんか?個人と同様、南城市も後悔しないよう、どのような資料を重要な歴史資料として長く保存していくべきか、ということを考えて業務に励んでいます。
アーカイブとは、消したくない資料を残すために、専用の保存領域に安全に保存することを指します。そしてデジタルアーカイブは、半永久的に「デジタル化した時点の姿」を残すことができます。現物資料は、いつか必ず朽ちていきます。末永く残すべき資料は、丈夫なうちにデジタル化しなければなりません。
現在「なんじょうデジタルアーカイブ」(なんデジ)に保存されている資料は、写真や動画、文書など約7千点。これまで、あまり人目に触れられることのなかった資料を未来へ向けて継承し、多くの人々に活用してもらうことを目的に立ち上げられました。
沖縄戦で多くの貴重な資料が焼失した歴史を思い返せば、現在残っている資料を適切に保存して、劣化する前にデジタル化する意味はとても大きいと考えられます。
ぜひ一度アクセスしていただき、地域行事や地域教育にご活用ください。
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