最終更新日:2021年12月10日
知念城跡の城壁内部から排水路遺構が発掘されたました。今後の整備で修復を予定しております。修復後は、一般の方々でも見学できるようなります。
西側城壁の発掘調査は、令和3年11月4日から行われ、11月24日に排水路遺構の一部が検出されました。
排水路遺構は、崩落した城壁の下部より検出されました。平成27年度の城壁手前側の発掘調査をした際に、今回確認された排水路の一部が検出されていましたが、排水路として確認することはできていませんでした。今回の発掘調査で崩落した上部の裏込め石を取り除いたところ排水路遺構を確認することができました。11月27日まで検出作業を続けた結果、排水路遺構全体を検出することができました。
発掘調査は今後、検出した遺構の記録を残すための図化作業を行ったのち、来年度以降の城壁整備のため、遺構の保護を行う予定です。
排水路遺構は、城壁の下部に造られており、城壁の内側から外側に向けて、かなり急こう配な造りとなっています。排水路の縁石は方形の琉球石灰岩で造られており、底面には別の石(種類は確認できていない)を用いた敷石が敷かれており、その上部には琉球石灰岩による蓋石が乗せられていました。
排水路遺構の下方部分は、崩落しており、底面の敷石が割れた状態で出土しています。
確認された排水路のうち形状を残している部分は、全長約2.3m、幅は約25㎝、崩落した部分も含めると全長は約3.3mあったと考えられます。排水路は崖まで延びており、崖下へと排水をしていたと考えらます。今回発掘された排水路遺構は、城内の排水施設として機能していたと考えられます。
建設時期は、不明ですが、北側に残る城壁と排水路の全長が一致することから、城壁と同時期に建設されたものと考えています。県内から検出されたグスクの排水路遺構と検討してみると、中城城跡の北の郭より検出された排水路遺構と類似するのではないかと考えています。
排水路遺構が確認された場所は、崖沿いで斜面地であることから、来年度以降城壁整備を行うまでは転落等安全面を考慮し、立入禁止としています。
南城市知念字知念に位置する「知念城跡」は県内でも特に古いグスクとして知られており、伝承や文献によると、天孫氏時代に築城されたと云われている。また、『おもろさうし』には、琉球開闢の神とされるアマミクが最初に祈りを行ったグスクとして謡われてます。
約400年前には、祭礼を行うことを目的に知名グスクから移り住んだ内間大親(後の知念按司)によって増築され整備されたと伝わっています。この場所が現在、多くの方が「東御廻り」で訪れている場所であり、ミーグスクといわれています。
その後、1761年には知念番所が移され、近代以降は知念小学校としても利用されました。昭和47年5月15日、日本復帰と同時に国指定史跡に指定されました。