1. 神座原古墓群出土人骨の研究調査結果報告(2022/05/20)

神座原古墓群出土人骨の研究調査結果報告(2022/05/20)

最終更新日:2022年05月25日

土井ヶ浜遺跡・人類学ミュージアムの松下孝幸館長を中心に実施されてきた「神座原古墓群出土人骨の研究調査」の結果報告が市役所で行われ、異国の母系の系譜を持つ15〜16世紀の壮年男性の人骨が発見されたと発表しました。

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    調査研究を報告する松下館長(写真左)

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    2基の納骨堂

同古墓群は玉城字富里に所在していましたが、開発により現在は商業施設となっています。古墓群内にあった人骨は近くに設けられた2基の納骨堂に納められ、現在もその子孫によって管理、祀られています。納骨堂の管理者より、松下館長へ調査依頼が行われ、松下館長を中心とした学際的な研究チームによって2019年から調査が実施されています。

調査を行った2基の納骨堂からは、グスク時代から琉球国前期頃とされる人骨78体が確認され、その人骨に対して科学的な調査が行われました。

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    3体の人骨が納められた石厨子

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    分析結果を示す松下館長

78体のうち75体は1基の納骨堂に納められていましたが、もう1基には3体の人骨が一つの石厨子に納められていました。その3体は男性人骨で、頭部の形は異なりますが、上肢や下肢の骨の形はほとんど変わらないため、同じ生活様式を過ごしたと見られます。さらに、DNA分析(ミトコンドリアゲノム分析)等の調査を行った結果、3体は『沖縄を含む日本由来』、『西ヨーロッパ・中央アジア由来』、『朝鮮半島由来』と、それぞれ母系が異なることが確認されました。

3体のうち『西ヨーロッパ・中央アジア由来』の1体については、大腿骨から身長が148cmほどとされ、当時でもかなり低いことから、松下館長は、西ヨーロッパの人が中国などの移動先で子孫を残し、2〜3世代か過ごした後に「琉球に渡って家族を作ったことも考えられる」と話し、世代を経て体格や身長などが「アジア人化したのでは」と推測。

また、石厨子を赤外線カメラで撮影した結果、1706年に制作されたものと推定されました。そのため、15〜16世紀に生存していた3体は、没後100年近く保存された後、石厨子に納められたと考えられます。

3体は一つの石厨子に納められていることから「広い意味での血縁体と認められる。一族にとって重要なため石厨子に再納骨されたのでは」と、祖先神として祀られてきた可能性を示しました。

活発な交易時代であった当時の社会情勢などを総合的に考えて「異国の人が沖縄に来たことは間違いない」とし、異国の人を排除せずに受け入れて、コミュニティを形成していたことに「この時代から沖縄の人は多様性を認めていたことに驚いた。万国津梁の邦と言われた沖縄の実態の一部がわかった」と、研究成果を評しました。