![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
2019年11月末日現在(先月比)
人口 | 44,218人 (△14) |
---|---|
女 | 21,954人 (△10) |
男 | 22,264人 (△4) |
世帯数 | 17,991戸 (+15) |
過去データ | (行政区分ごと) |
※外国人登録含む
![]() |
![]() |
![]() |
2011年7月 6日
修学旅行などで沖縄に来た児童生徒を、地域住民宅で受け入れる「民泊」。
南城市でも受け入れ家庭が増えてきています。
南城市内における民泊や体験学習の安心・安全の底上げを図ろうと、
若林伸一氏(沖縄南部広域観光協会副会長、NPO法人自然体験学校理事長)を講師に「民泊受け入れ体制説明会」が玉城庁舎で行われました。
若林氏は沖縄における民泊や体験学習の現状について「体験指導者がおらず、情報が一元化されていないなど、コーディネートがされていない」と指摘。民泊の情報一元化や受け入れ家庭のスキル一元化を図るために、沖縄南部広域観光協会を設立した経緯を説明しました。
また、国の事業である「子ども農山漁村交流プロジェクト」についても説明。この事業に基づいて平成24年には全国の小学校が自然体験や民泊を実施するとのこと。
沖縄南部が受け入れ先として選ばれるために、地域資源のプログラム化や安全レベルの向上、情報発信を図っていくことが重要と説明しました。
若林伸一氏
2011年7月 2日
©南城市が誕生してから5年。市制施行5周年の記念式典と祝賀会がシュガーホールで開催されました。
15名の方々に功労賞、6名の方々に特別表彰が贈られました
記念式典では、地方自治・住民自治・社会福祉・徳行の各種功労賞の表彰が行われたほか、スポーツ面で活躍した若い世代へ特別表彰も贈られました。
古謝市長は「5年を振り返ると、多くの山積する課題を市民のご協力により解決することができた。今後とも、市民との協働によるまちづくりを基本に市職員の英知を結集して『日本一元気で魅力あるまちづくり』の実現に邁進する」と述べました。
また、市内のコーラスグループが式典に歌声の彩りを添え、祝賀会では各地区の伝統芸能が披露されました。
つきしろ広場で祝賀会
元気に歌ったシュガーホールジュニアコーラス
母性愛あふれる歌声を披露したウイングスなんじょう
「この街で」が感動を呼んだシルバーコーラスきらり
参加者全員で万歳三唱
かぎやで風で祝賀会の幕開け
伝統棒術(佐敷津波古区)
仲里節(知念知名区)
あやぐ(玉城前川区)
獅子舞(大里当間区)
締めのカチャーシー
2011年6月27日
大里農村環境改善センターで「南城市少年の主張大会」が行われ、
中学生たちが日ごろの思いを社会に訴えました。
発表者の皆さん
あいさつ、夢、読書、自分の変化、家族の大切さなど様々なテーマで市内各中学校から男女2名ずつ、
10名の中学生が発表しました。
選考の結果、佐敷中学校3年の上原脩吾さんと嶺井日夏野さんが最優秀賞(佐敷中がダブル受賞)で島尻地区大会に出場することになりました。
上原さんは「家族の意味」と題して発表。
難病で長期の治療を支えてくれた家族への感謝を語り、
「皆さんは家族という大きな存在を当たり前だと思っていませんか。
とても幸せなことだとわかってほしい」と訴えました。
上原脩吾さん(佐敷中学校3年)
嶺井日夏野さん(佐敷中学校3年)
「夢中になるということ」と題した嶺井さんは、演劇「翔べ!尚巴志」に出演した経験をもとに学んだ事を主張。
「ひとりだけでは舞台をつくれない。仲間の大切さや、自分を改善していくことを学んだ。
何かに夢中になる事は自分を成長させ、変えていくことにつながる」と訴えました。
2011年6月24日
大里庁舎エントランスホールで「仕事と家庭・地域生活の両立ができるくらしの実現~家族経営協定を締結して~」と題し、知念久原で農業を営んでいる玉代勢安子が講演しました。
「兼業農家として農業を始めました。当初は農業を終えて夫婦で一緒に帰宅しても、夫はビールを飲み始める一方、妻である私は家事をしなければならない。ギクシャク感が出て農業への情報共有もうまくいかなかった」と言います。
そこで沖縄県南部農業改良普及センターから提案されたのが家族経営協定。
「これだ!私たちに足りないのはこれだと思いましたね。夫には子どもの送迎や洗濯、私は夕飯を作るために農業を1時間早く切り上げるなど、家事の分担、農業の分担のルールを決めました」
最初は反対していた夫も、慣れてくるに従ってこなすようになり、子どもたちも農業に参加するようになったと言います。
「家族との会話が増えましたね。農業の話ならいくらでもできる」
今では家族でエコファーマ認定を受け、パッションフルーツやゴーヤー、マンゴーなど、玉代勢家の農産物は市場でも高評価を得ているとのことです。
まだ家族協定を結んでいない農家の皆さんはご検討してみてはいかがでしょう?
女性農業士 玉代勢安子さん
2011年6月23日
沖縄戦で組織的戦闘が終結したとされる慰霊の日、糸数区にあるアブチラガマで区の慰霊祭が執り行われました。
正午前、区民がアブチラガマに集い、正午の時報と同時に1分間の黙とうを御霊に捧げました。
アブチラガマは自然洞窟で、戦時中は糸数集落の避難壕でしたが、戦場の南下に伴い、南風原陸軍病院の分室にもなりました。600名以上の負傷兵で埋め尽くされたといいます。
現在では平和学習の場として、修学旅行生なども多く訪れます。
2011年6月22日
城門から上がり太陽(ティダ)が差し込む
1年の中でもっとも昼が長い夏至の日。琉球創生神・アマミキヨが築いたとされる七御嶽のひとつ「玉城グスク」の城門からは、城内の御嶽へ太陽がまっすぐ差し込む現象が見られます。
早朝から多くの人が訪れ、その瞬間をカメラに収めていました。
東御廻り(アガリウマーイ)の拝所でもある玉城グスク。琉球国王もこの神秘的な光を見ながら、国の安寧を祈ったかもしれません。
2011年6月20日
今年も慰霊の日が近づいてきました。「世界一大きな絵・2012」(主催:NPO法人アース・アイデンティティ・プロジェクト)は、子どもたちの絵を通して世界が平和になることを願ったプロジェクトです。
世界中の子どもたちの絵が2012年にひとつになります
知念岬公園では強い日差しの下、市内の幼稚園児約400名が白い布に思い思いの絵を描きました。
画家としても著名な歌手の八代亜紀さんと、福島県相馬市からの園児9名もスペシャルゲストとして加わりました。
各幼稚園ごとに描いた絵を保護者が縫い合わせ巨大な絵の出来上がり。でもこれで完成ではありません。来年、ロンドンオリンピックで世界中の子どもたちの絵ともつながり、「世界一大きな絵」となります。子どもたちの夢がつながり、世界がひとつになるといいですね。
自由な発想で絵を描く
八代亜紀さんも参加
保護者が縫い合わせる
相馬市の園児へプレゼント
会場となった知念岬公園
2011年6月17日
知念体育館で南城市誕生5周年記念写真展「鉄の暴風から笑顔が戻った日 in 南城市」がスタートしました。6月23日まで。
初公開を含む1200点もの写真を展示
戦前から戦後復興までの写真やビデオが多数展示されています。
来場者には写真の中から知人を発見する方や、かつての故郷の姿を興味深そうに見入る方々がいらっしゃいました。
6月23日は沖縄戦で組織的な戦闘が終結した慰霊の日。写真展にいらっしゃって、平和を思いながらこれからの沖縄の進むべき道を考えてみるのもいいのではないでしょうか。
写真を見ながら語り合うコーナーも
昔の風景(津波古?)
老婆と外国人
2011年6月12日
土砂災害を想定した防災訓練が大里グリーンタウン地区で行われました。
訓練は沖縄気象台が土砂災害警戒情報を発表したシナリオからスタート。自治会長が前兆現象を発見し、市へ通報。市役所と現地対策本部とで連絡を取り合いながら、消防団員と青年会などが住民を避難誘導しました。
報告を受け、現地対策本部を設置
住民誘導へ走る消防団員
社協と協力し車いすが必要な住民を避難
住民を避難誘導
避難完了後、救急講習会も
飲料水を運ぶ訓練
炊き出しの訓練
災害箇所を調査し、県へ報告
訓練はおおむね順調に完了しましたが、解散前に帰宅する住民も。東日本大震災でも避難解除の前に、忘れ物を取りにと帰宅した住民が被災した例があります。防災訓練での反省を日ごろの防災意識に活かしていきましょう!
2011年6月 9日
求職者を着実に就職まで結びつけることを目的とした「就職支援プロジェクト」(主催:南城市地域雇用創造推進協議会)がスタート!パネルディスカッションが玉城中央公民館で行われました。
西銘史則さんをコーディネーターに、パネラーは津波信一さん、宮城麻里子さん、中村明男さん。それぞれの仕事に対する考え方やキャリアを語って頂きました。
「25歳のときに笑築過激団を辞めて佐敷に戻ってきました。会社というぬるま湯から出てフリーになったら風邪をひきましたね。仕事がゼロで。でも希望のあるどん底でした。そのときが自分が大きく成長したとき。親は今でも公務員になれというけど、逆にそれを見返そうと頑張れる。今はバカ話が形になって、自分の収入につながっていくのが楽しい。仕事で成功すればもちろん100点だけど、やって失敗しても50点なんですね。やらなかったら0点。踏み出すことが大切だと思うんです」
佐敷が生んだ有名タレント・津波信一さん
大里が生んだ有名アナウンサー・宮城麻里子さん
「県内のテレビ局で12年務めて、今はフリー。小さな目標を積み重ねて12年間続けられたという感じですね。フリーになってからお金の管理も考えるようになり、ようやく大人になったという気持ちです。会社には守られていたんだなぁと。でも今は幸せです。会社にいたときは、気がつけば仕事への不満、会社への文句しか言ってなかったんですね。今は自分の仕事に文句を言っても仕方ない。そう思えると、司会業も楽しくなってきました。フリーになるときは99%の人が反対しました。でも他人が反対したからと言って、今後の自分の人生をその人が責任を取ってはくれない。他人のせいにせず、自分で決めることが大切だと実感しています」
「最初は広告代理店で働いていました。超多忙で。一度リセットしようと思って南城市に戻ってきました。その時、こんなに魅力のある場所なんだと気付きましたね。それからおきなわワールド玉泉洞に入社。生まれ育った場所からすぐ近くだったので親しみはありました。今は仕事をしている中で、沖縄の魅力を再発見したり、いろんな人との出会いもあって充実しています。南城市には地域資源がいっぱい。これからも地域資源を掘り起こしていきたいです。自分を表現し、楽しくやっていけたら」
おきなわワールドの仕掛け人・中村明男さん
今後、就職支援プロジェクトでは求職者の就職を支援するための充実した無料講座を実施する予定。詳細は南城市地域雇用創造推進協議会ホームページをご覧ください!
200